今日8月6日は70年前広島に原爆が落とされた日です。
戦後(昭和27年)に生まれた自分は「戦争を知らない子供たち」 です。

同じ戦後に生まれた自民党、安部晋三首相は憲法を無視する形で7月16日安全保障関連法案(安保法案)を通過させました。現在法案は参議院に送られ、審議中です。保有する戦力(自衛隊)を使いたくてたまらない阿部首相に危機感を覚えています。

そして現在、戦争を二度と繰り返さないという日本国憲法の中身が骨抜きにされようとしています。 
 
 日本国憲法 第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 


 安保法案成立に対して沈黙を守ることは自民党の政策を容認することになると思い、自分なりに文章を書こうと思いました。しかしうまく表現することができず、悶々としていました。

そうした中で今日の高知新聞に「火垂るの墓」で有名な 野坂昭如さんの文章が載っていました。全文を転載すると著作権の問題があると思うので、一部抜粋しました。興味のある方は8月6日(木) 高知新聞朝刊11面をご覧ください。

 自分の子供たち、孫たちに戦争への道を歩ませてはいけない、自分たちの時代には歴史的責任がある、そういう思いで新聞記事をワープロ打ちしました。読んでください。
 以下引用です。

野坂 昭如    ---戦後70年
 「再び破滅の道を進むのか
  
 かつて日本は戦争に負けた。この事実を知らず、日本が戦争に負けたことすら知らない若者もいる。敗戦からしばらくして、戦後と呼ばれるようになって、戦争反対、平和が大事というスローガンが、あらゆる音頭取りの中心に使われていた。だがそのほんの少し前、戦中の世の中では、一億一心、皇軍必勝が何かにつけて枕言葉になっていた。
 戦中にしろ、戦後にしろ、ほとんどの日本人が当たり前に思っていた。つまり、人間とは変わりやすく、また忘れやすい生きものなのだ。当然忘れることも大事である。前に進むには、暗い過去にとらわれてばかりいてはいけない。
 (中略)
 戦後70年だという。70年に意味はない。少なくとも、ぼくにとって区切りでも何でもない。毎年この季節になると、日本人は突然、かつての戦争について何かと喋りだす。その数日、反戦の気持ちを新たにすれば、それでこと足れりとでも思うのかもしれない。
 かつて日本人は、大日本帝国の管理のもと、戦争に突き進んだ。戦後は占領軍にいいように扱われ、制度としての民主主義、平等、平和、自由の理念がアメリカによって下しおかれた。日本人はこれを受け入れ、豊かさに邁進(まいしん)。戦争について立ち止まり、振り返ることのないまま、70年を経た。気がつけば、かつて大日本帝国が急速に軍国化の一途をたどった時と同じ、世間がぼんやりしているうち、安保法案が衆院を通過、国民に説明不足といいながら、破滅への道を突っ走っている。
 ぼくは、今の憲法が全て良いとは思わない。だが変えるのは反対である。今のままで良い。戦前の大日本帝国憲法がいかに窮屈だったか。安保保障の枠組みを変えてはいけない。
 昭和20年8月15日、日本は戦争に負けた。14歳のぼくが感じた敗北感。敗北感だけじゃない、家も家族もすべて失った。もともと勝てるわけなどなかったのだ。圧倒的な軍事力の差。文明もまた、日本とケタ違いだった。戦後日本は謝り続けだ。勝った国に、侵略した国に、世界中に。自己主張はできない、許されない、これが今も続く。
 しかし負けたからこそ頑張れた、とも言える。「不戦の誓い」をもつ国だからこそ、豊かになった。憲法9条を変えてはいけない。憲法9条は日本を守る。
 日本が戦争に巻き込まれたら兵士として殺されることも覚悟しなければならない。そしてそれは、若者や子供たちである。徴兵制度に近いものが再び実施され、世間の暮らしは途端に窮屈なものになるだろう。戦争になったら、食べものも入ってこない。食べものを外国頼みにしてしまった日本。飢えて死ぬのは弱い立場の人間たちから。
 言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは、国家、国体である。かつて愚鈍なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。安保法制は、戦争に近づく。血を流すことになる。世間はそれを承知なのか。       (作家)

  (この原稿は、野坂さんの妻による口述筆記です。」 

 のさか・あきゆき 30年、神奈川県鎌倉市生まれ。「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞。「同心円」(吉川英治文学賞)、「戦争童話集」、「文壇」(泉鏡花文学賞)など著書多数。

 出典) 2015年(平成27年)8月6日(木曜日) 高知新聞朝刊 11面